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本文へジャンプ 9月08日 
 今年は2泊3日の夏合宿としては6年連続6回目で、夏合宿としては9年連続9回目でした。我が研究室の自慢の夏合宿ですが、今年は長崎を舞台に実施しました。
 諫早湾の干拓問題、雲仙普賢岳、原爆資料館、グラバー園、眼鏡橋、軍艦島、長崎大学の道守をメインコンテンツに、皆がよく勉強し、学び、懇親を深めました。

 それでは,学生たちの感想をご覧ください。届け出順です。


@ 小松怜史(D2)
 6回目という普通の学生ではありえない数の合宿を経験してきて思うのは、どれだけ用意周到に準備して、その場その場で感銘を受けても、それを己の肥やしにしないと意味がないということです。当事者じゃない人間が、
見聞した良質な経験を心底消化するのは、言うほど簡単ではないなと思っています。
 例えばあれだけの被害を受けた東日本大震災でさえ、世間では少しずつ風化している気がして否めません。
節電なんて話も、いつの間にやら忘れ去られている気がしています。(私自身、暑がりなので設定温度をついつい下げてしまうので猛省です)これは私自身の現在の課題であり解決しなければいけないことです。
 私が、思う現在の最善の策は、土木を知らない友人や両親に合宿であったことを「話をする」ことかなと思っています。何が問題で、どういうところで争っているのか。公共事業の大切さをドが付く素人に完結にわかりやすく話をする。それについて会話(議論)できればベターかなと思っています。まずは自分の両親に実践してみたいと思います。

A Abrham Gebre(D2, Ethiopia)
 In my opinion, the summer trip was extraordinarily successful due to a careful preparation and suitable schedule. I explored many beautiful and historical places in Nagasaki and experienced so much happy time with all members and that has strengthened the friendship between me and other students. I have also learnt how to organize such an activity. I feel so happy when I am a member of our lab.

B Moses Lawlence(M2, Tanzania, IMP course)
 Generally, the trip had exposed me to so many aspects socially, economically, politically as well as technically. As one of the member of the group which visited all these places, I came to understand that at one point the opening of the ports by the Japanese government by then, was something which brought about a lot of challenges opportunities to Japan. It is through all kinds of business Japan was modernized and moved from one stage to the other. However, it is true that without their consistent and hardworking strategies, Japan could not have been where it is now. Like there are so many countries which were also having the same scenario, however, immediately after foreigners left they went back to their original situation. They could not pursue any further. From engineering point of view, the trip was advantageous to me as I could learn a lot of technical issues, like the land reclamation technology used in Isahaya City. The got an opportunity also to see how chloride ion ingress is slowly affecting the reinforced concrete apartments in Hashima Island. Japan also has a very good and systematic way of keeping historical sites for future generation, which is very important. Since, everywhere in the world, there cannot be development initiatives without knowing your history, like where are you coming from, what were the past efforts? Then, from there a society or an individual can strategize to make a pace towards development. I do really envy what Japanese Government is doing, it is something other countries are to learn from. It was also a great experience to me learning how to organize public event in a smooth way by a having a coordinator (kanji) who is also a student. I would like to take this opportunity to thank the management team of the concrete laboratory for supporting us.

C 山崎由紀(B4)

今回の合宿では、事前学習から見学を通して多くのことを学び、また今後考えていかなければならないことを知るきっかけを得ることができました。

諫早湾干拓事業に関しては、事前学習の資料のビデオで、前小長井漁協組合長の森文義さんが、「国対市民」の構図であるはずの問題が「市民対市民」の諍いにつながってしまったことに対する悲痛な思いを訴えていたことが非常に印象的でした。環境アセスメントにおいて、事業によるリスクが正しく公表されなかったことが問題の発端の一つとなって、人々の生活に必要不可欠な資源などが失われてしまっただけでなく、地域の交流にも溝を生む結果にいたったことを知り、説明責任の重みを感じるとともに、責任の果たし方についても考えさせられました。一方で、現地を見学したり、諫早市の方に説明してただいたりする中で、防災機能によって安全が確保されていること、農業用水が安定供給されていることなど、事業による恩恵を市民が受けている現状を知り、一つの視点から問題を見ていたために誤解が生じる危険性を身を以って感じました。情報化社会においては特に、ものの見方や価値観、判断力などを養っていかなければならないと感じました。また、事業の見直しによって生じる損失や課題について学び、公共の利益につながるはずの公共事業によって取り返しのつかない結果を招きかねない虞があることや、エンジニアの役割を改めて学びました。

雲仙普賢岳に関しては、災害の中でも地震や津波に比べて、火山の噴火による被害は想像し難いと感じていましたが、土石流被災家屋保存公園や旧大野木場小学校被災校舎で被害を受けた建造物を見たり、雲仙岳災害記念館や道の駅みずなし本陣で映像や資料などを見たりすることを通して、火山の恐ろしさや火山の防災の難しさを学びました。近い将来起こる可能性の高いといわれている富士山などの噴火においてどのような対策を講じることができるのかなど、火山の防災について、今後関心を持っていきたいと思いました。

めがね橋の見学に際して、水害によって半壊した際の修復方法や2連アーチ橋の選定理由などについて学び、見学を通して理解を深めることができました。また、現存する日本最古の石造りアーチ橋を保全するための取り組みとして、めがね橋の架かる中島川には大雨の際の水害対策として2本のバイパスがあることも現地に行って初めて知ることができました。

軍艦島の見学に関しては、軍艦島の歴史や他大学で軍艦島のRC構造物に関する研究がなされていることを知るきっかけとなりました。機会があればぜひ上陸して、人々の生活していた場所や劣化した構造物の現状を間近で見てみたいと感じました。

見学だけでなく計画段階から合宿全体を通して、研究室の合宿でなければ学ぶことのできないことを数多く教わり、先生方や合宿の段取りを立てていただいた合宿係の先輩方をはじめ、合宿に関わっていただいた方に感謝しています。来年は私たちの学年が幹事となるので、実りの多い合宿となるよう努力したいと思います。 


D 小宮奈保子(M2)
 今年の夏合宿の目的地は長崎県でした。公共事業や防災などこれから土木の仕事をしていく中で重要と考えられるものや日本の歴史に触れることができ、充実した合宿でした。

 その中でも、最も印象的だったのは諫早湾干拓事業についてです。人々の生活のために行った事業が、現在は開門をめぐって漁業関係者との争いが生じてしまっているという公共事業の影響力の大きさを改めて感じました。また、メディアでは、魚が捕れなくなった漁業の方を取り上げていたが、地元の人々は開門反対が多数であり、県外の漁業関係者が賛成しているのだというお話を聞き、様々な視野をもたなければいけないと感じました。

 また、去年長崎に訪れた際に見たものを今年見ると考えることや感じることが違っていることに気付くことができ、貴重な経験をすることができました。防災や原爆など、昔のことをしっかり今に伝えているからこそ自分たちが生活できているのだということを学ぶことができて良かったです。歴史から学び、未来につなげることのできる土木技術者になりたいと思いました。今回は留学生の参加者が多く、普段以上に交流することができたと思います。英語が得意でないために留学生と会話する機会が普段は少なくなってしまっていたが合宿中はコミュニケーションをとることができました。

 最後に、この夏合宿を作り上げてくれた幹事の方、予習資料を作ってくれたM1の方、そして先生方、ありがとうございました。     

E 遠藤立維(B4)

 今回の夏合宿を通して、一人前の土木技術者を目指している僕にとって、とても勉強になる旅でした。土木技術とは自然の脅威から人々の命や財産を守りながらも、自然と調和した快適な暮らしを人々に提供しなければならない学術分野だと考えています。今回の旅は、これを改めて考えさせられる題材が多く、消化しきれていない部分も多々ありましたが、諫早湾、雲仙普賢岳、原爆資料館、主にこの三つについて感じたことを述べたいと思います。

諫早湾

 諫早湾について事前に予習した内容は主に開門賛成派の意見のものでしたから、現地の開門反対派の方の意見を聞くことで、自分の考えの浅はかさに気づかされました。マスメディアなどによる情報を見ている限り、干潟の壊滅や有明海の漁業に対する悪影響といった堤防による被害しか取り上げられておらず、そのメリットについて全く触れられていませんでした。しかし、現地の開門反対派の方の意見は全くの逆で、開門することで、農業に対する被害を始め、川の氾濫によって住民の生活の安全を脅かす可能性があるといった問題ばかりで、軽率に白黒を付けられない課題だと思いました。自然環境を守りつつも、快適な暮らしを送ることはとても難しいことだと感じました。こういった問題に直面したときこそ、エンジニアとしての本当の力が試されると思いました。

雲仙普賢岳

 平成二年の普賢岳の大噴火についての資料を見て、初めて火山の恐ろしさを知りました。普段、地震や津波についての話題が多く、火山について知る機会が少ないため、大変勉強になりました。火山の噴火において一番恐ろしいものは火砕流で、温度は600℃を超え、さらに時速100kmにも達する。避難を遅れると、まず命は助からないと思いました。雲仙普賢岳の場合、噴火の最中と噴火後は土石流が多発し、火砕流を逃れた家屋も土石流によって流されたものは少なくありませんでした。こういった大規模な自然災害から人々を完全に守ることは今の技術では不可能だと思います。それでも、一から生活基盤を作り直し、その土地で強く生きていこうとする現地の人々から、生きることに対するエネルギーを感じました。

原爆資料館

 核爆弾の威力や人体に与える影響を知り、さらに、当時の様子を想像すると、ただただ恐ろしいと感じました。どんな自然災害よりも戦争が一番多くの死傷者を出し、しかも、それが人為的なものであると考えると、戦争だけは、絶対にあってはいけないものだと思いました。戦争のない今の日本では、殺人事件ひとつでも大体的に報道されるこの時代では、戦中の人々の考えや思いを感じることは不可能だと思います。だからこそ、戦時中の大切な資料を残し、このような恐ろしい出来事が行われていたという事実を後世の人々に伝えていくことがとても大事なことだと思いました。

まとめ

これら以外にも、長崎にある重要文化財や歴史のある橋梁を見て感じたことは、破壊することは簡単であるが、創造することははるかに難しいと思いました。それこそが研究者、技術者を目指す者に与えられる使命だと思いました。

今回の合宿では、普段の生活で中々経験できないことや感じられないものばかりで、精神面、知識面とも成長させられました。さらに、研究室の仲間との親交もより一層深まった旅でした。


G 高柳 豊(M1)

 今回の夏合宿では、諫早湾の干拓事業についてが最も印象に残っています。事前に予習で見た諫早湾に関するDVDの内容と実際に現地で聞いた諫早市役所の方の説明とでは受けた印象が大きくことなっていましたた。この様に立場や視点の違いから意見が多様化していくことを感じ、公共事業を進めていくことの難しさを改めて感じると伴に物事を1つの側面からだけでなく多面的に広い視野をもって見ることの重要性を強く感じました。他にも、雲仙普賢岳や原爆資料館の見学では非常に大きな衝撃を受け、深く考えさせられる良い経験ができたと感じています。
最後に今回の合宿で台風の影響などで行程が上手く行かない中試行錯誤して有意義な時間と良い経験を与えてくれた合宿係の2人にはとても感謝しています。

H 佐藤啓介(M1)
 前回の夏合宿で東北被災地を訪れたときは,震災から数か月しかたっていないこともあって現地では基本的には見て回ることが多かった。見るだけと言っても破壊した構造物を間近で観察することができるなど非常に貴重な体験ができた。今回は二回目の夏合宿となるが,その舞台となった長崎は歴史的な背景や長く続く問題など事前に調べておくことができる資料が豊富にあったため,現地でぼーっと眺めるような事態は避けられた。さらに,自身が二回目というだけあって初回よりは夏合宿に臨む姿勢ができていたというのもあるだろう。
 初日に訪れた諫早湾では事前にビデオを見ていたことがかなり効いており,諫早市役所の方の話も頭に入りやすかった。諫早湾の干拓事業に関しては思うことがいくつかでてきた。まず,漁業関係者たちは堤防の建設に対して否定的で,今も排水門を常時開放することを要求しているが,行政が漁協に対して補償金を支払うとなると訴えを取り下げた組合が多かった。しかし,私はこの金銭的な解決にはあまり納得がいかなかった。確かにそれで漁業関係者たちは暮らしていけるだろうが,諫早湾の生態系にはなんの変化もない。持続可能な開発が訴えられる中で,その場限りの金で反対派をまるめこみ,環境に対してどうするかはっきりしないまま事業を強行してよいのだろうか。
 また,裁判によって3年以内に排水門を開門することが決定しているが,この時間的な制約がある中でどう解決策を見出していくのかということにも非常に興味を持った。卒業論文や修士論文にも1年あるいは2年といった中で成果をださなければならず,いつか私は1年という短い期間で無理やり結果にこぎつけるような研究では意味がないと考えることがあった。しかし,時間的制約といのは実社会では常につきまとっているものであり,限られた時間のなかでいかに最前の道を選択していくかというのが非常に重要であり,それをマネジメントしていく力をつけなければならないのだと改めて認識した。諫早湾の例では,例え5年後に素晴らしいアイディアが見つかったとしても3年目の段階で最低でもそこに導けるような有効な対策をしていなければ素晴らしいアイディアは実現不可能となってしまう。3年以内の開門が決定した中で,研究者や技術者たちが死力を尽くしてどのような結果を導き出していくのかが少し楽しみである。
 諫早湾の他にも,雲仙普賢岳の災害や原爆,グラバー園,出島や坂本竜馬ゆかりの地など長崎には歴史的な背景から,近代的な負の遺産,また自然の猛威などエンジニアにとって非常に面白い場所であると思う。個人的には港を囲むように山が広がるあの地形もジブリアニメの舞台を彷彿とさせるようで非常に気に入った。1回だけではまだキャッチできていない情報が多くあるため,何度か訪れてみたいと思った。

I 鈴木陽光(B4)
 私にとって初めての研究室合宿とともに、初めての長崎でもありました。訪問した多くの名所や歴史スポットの中でも心に残った数箇所をピックアップしていきたいと思います。
 平和記念公園及び原爆資料館
広島の原爆資料館、平和公園は以前見学した経験はあり、何となくイメージはついていたけれどいくつか異なっていた点もありました。それは燃料がプルトニウム製とウラン製という違い、広島と長崎の地形の違いです。プルトニウム型の長崎原爆のほうが威力は強かった(広島の1.5倍)のですが、長崎の山に囲まれた地形のおかげで被害は広がらなかったのです。確かに長崎市内でさえ歩くとすぐに急勾配な坂や山がありました。(自分たちが泊まったホテル矢太楼も市の中心地から歩ける距離だが、標高100〜200mという立地でした)
 わが国○○発祥の地
長崎は昔からの貿易国のであった影響で、日本で始めて〜といったものが多かった。鋼橋やアスファルトに関して言えば、そこまで変わらない材質や形状であったので驚きました。

J 土岐宥美子(B4)
 今回が初めての研究室の夏合宿だったが、とても有意義な合宿だった。
諫早湾ではひとつのことをいろんな立場から考える難しさや重要さを感じた。湾を閉じる際にも技術者たちの知識や工夫、努力が存分に発揮されたのだと思う。しかしこれを喜んでいない人々も多い。
雲仙普賢岳では、自然災害の脅威を改めて感じた。映像も衝撃的だったが、道の駅で目にした埋まってしまった家がとても印象に残った。知識として恐ろしいということはわかっていても実際に目にすることでその恐ろしさをより肌で感じることができたと思う。
平和公園やグラバー園、出島では、歴史を考えるいい機会になったと思う。私は歴史が得意な方ではないが、こうして実際にその場所を訪れたり、資料を見たりすることで歴史を面白いと感じることができた。めがね橋ではやはりアーチ橋は綺麗だなと思った。
軍艦島は船上からでも迫力満点で、楽しかった。人の手が加わらないまま鉄筋コンクリートの構造物が劣化するとこのような状態になってしまうのかと見入ってしまった。島だけがタイムスリップしているような感覚になった。
長崎には中学校の修学旅行で訪れたことがあったが、今回はそのときとは比べ物にならないほど内容の濃い充実した、そしてとても楽しい合宿だった。何より一緒に行ったメンバーがコンクリ研だったことでこれまでとは違った視点でものを見られ、とても有意義に感じた。また、合宿を通して研究室の先生方や先輩方、留学生の方たち、同期と交流できたことが嬉しかったし、楽しかった。
また、懇親会で先生方やM2の先輩方の言葉を聞き、合宿の幹事のお二人を始めM1のみなさんと2泊3日を過ごして、すごく自分のためになったし自分は尊敬できる先生方、先輩方といるのだなあということを再確認した。自分もこんな先輩になりたいと思った。
最後に、先生方をはじめ、諫早湾の説明をしてくださった市の方、長崎大学の出水さん、幹事の錦織さん、松田さん、本当にありがとうございました。


K 錦織勇人(M1)
 私は今年の夏合宿では松田と共に合宿係にとなり、ゼミ全員の合宿をマネージメントする立場となっていたために去年の自分や研究室の皆さんとは少し違った感想を持った。
去年のような立場であったならば合宿で訪れた地で学んだことが最も印象的であり、現地で実際に見て学ぶとこの重要性を感じていたと思う。もちろん今年も予習や事前の下調べによってある程度の知識をつけて合宿に行ったが、やはり現地に行き自分の目で見ることによって得られることは計り知れなく、机上の勉強だけでは本当に得られることは限られていて、諫早の予習DVDの内容と現地で説明をしていただいた池さんとの意見は大きく違っていて現地の方の貴重な意見を得ることができたり、雲仙で道の駅に保存してあった噴火の際に飲み込まれて埋まってしまった家屋を生で見ることによる強い印象は現地を訪れないと得られない経験であり、合宿の重要性を改めて実感した。
 しかし、今回私は合宿係という特別な立場であったために上記に示したような夏合宿の重要性よりもマネージメントということの重要性と難しさを一番学んだ。こんなに多くの人をまとめるだけでなく、先生方や先輩方、留学生など今までの友達といく旅行のような気軽なものではなく、研究室全ての人にコンタクトをとり場合によっては諫早市の池さんや長崎大の出水先生とも入念な打ち合わせをしたのにも関わらず自分たちの考え通りに進むことはほとんどなく、最も力を注いでいた軍艦島に関しては天候の理由で上陸することができなくなり、今まで考えてきたプランが破綻してしまい合宿中にも予定を変更したりバタバタする場面もあった。しかしその時は皆さんのためにもいい加減な判断を下すわけにはいかなく非常に焦ることもあり、投げ出したくこともあったがそのたびに考えさせられ学ぶことができて他の人にはできなかった経験をしたことで研究室の皆さんとはまた違うことを学べたのではないかと今では感じている。
 研究においても自分の思っているようにうまくいくことはほとんどなく、挫折の連続であると思うがその度に考える機会を与えられていて、そこでどれだけ考えて次の答えを導きだすかが重要であると思う。そのことを私は今回の夏合宿を通して、夏合宿係という役所につきやり遂げたことによって学んだ一番のことである。

L NGUYEN CHI LINH(B4)

八月29日から31日まで三日コンクリート研究室が長崎へ合宿行って来ました。長崎にある歴史文化財をはじめ、土木、コンクリートに関連する施設を見学しました。非常に充実した夏合宿でした。

1)諫早湾干拓事業
29日朝六時半ごろに羽田空港出発し、八時半ごろに長崎空港に着きました。研究室の他のメンバーが何人か既に前日から現地に来ましたので10時ころに集合し、早速空港からバスで移動し、諫早湾の干拓事業を見学しました。諫早湾干拓事業は有明海内にある干拓事業である。戦後食糧難を解決するために、諫早湾干拓事業を発案したのがきっかけで1989年に事業開始2007年潮受け堤防の上に諫早湾干拓堤防道路が開通した。その後まもなく2008年有明海沿岸の漁業らの漁業被害で佐賀地方裁判所に提訴し、潮受け堤防排水門について5年間の開放を行うよう命じる判決を言い渡した。これに対して2011年長崎県諫早市側の干拓地の入植者や後背地の住民、長崎県農業振興公社ら352の個人と団体が国を相手に開門の差し止めを求める訴訟を長崎地方裁判所に提訴した。このように農業と漁業の紛争が起っている上にどちらの立場でも正当性があるので改めて公共事業について事前調査、環境影響そして社会に対して経済産業の変更、人の意識変化について検討し直さなければならないと思います。
 
2)雲仙
諫早湾干拓事業を見学してから雲仙さんに向かいました。1990年から噴火活動が開始し、1991年に火石流は発生し消防関係者を中心に死者43名の大惨事になりました。今回の見学で雲仙岳災害記念館を行きました。当時に残されたままの現物や数多くの写真、そして当時の火石流がどれくらいの早さで発散していたのかを体験し、今まで新聞記事やニュースで見ていた火山の恐ろしさを実感出来ました。

3)長崎原爆資料館と平和記念公園。
30日、二日目私たち長崎原爆資料館を見に行きました。日本にいる間に一度原爆を見に行こうと思っていましたので今回のチャンスで願望が叶いました。私はベトナムにいたごろから戦争の話はそんなに古いことではないし、私の世代だとまだ戦後の苦しみを実感できました。畑の中に大きな爆弾が発見されてもおかしくなかったくらいです。そしてダイオキシン汚染でいまでも被害が今でも続いています。私はそういう気持ちで入管しました。原爆のエネルギー、そしてその被害は想像を超えていました。半径3キロメットルで生き残るものがほとんどなかった。ぼろぼろに燃えた町、黒く焼かれた死体、失神な顔の生き残った人々をみるたびに痛くかんじています。やはり戦争はどこにもおなじです。終わった後一生に忘れられない痛み痛みだけだと思います。本当に感動しました。
          
4)軍艦島
31日最終日私たちが軍艦島へ向かいます。台風が近づいていましたので軍艦島へいけなくなりそうな状態になったときもありましたけど幸い31日晴れましたので島周辺がへ回ることが出来ますが台風の被害で上陸することが出来なかった。
こちらはかつて海底炭鉱だったので三菱重工が社員のために寮をはじめいろいろな施設を作りました。一番栄えたときに五千人がここで生活していました。ここが1916年日本発鉄筋コンクリート造の集合住宅をはじめたくさんのコンクリートの構造物が残されています。
1975年以降炭鉱の閉鎖とともにひとが住みなくなり、コンクリートの建物がどんどん腐食されていきます。コンクリートを研究している私たちここは宝物だとおもいます。
残念ながら上陸することが出来なかったですが今度是非見に行きたいと思います。

三日間しかないですが長崎のいろいろなところが見ることが出来、すごく濃い夏合宿でした。以前書いたところ以外に長崎の歴史財であるグラバー園、出島、めがね橋などなどを観光することが出来ました。長い歴史を経っていろいろな災害,人害を乗り越えた長崎は今でもすごく綺麗だと思います。本当にもう一度この町に行き、路面電車であちこち行きたいと思います。
最後に充実した夏合宿をすごすことが出来、先生方と先輩にいろいろサポートしていただき、お礼を申し上げたいと思います。

M 高田康平(M1)
 今回の夏合宿はグラバー園、出島、軍艦島など観光地であり歴史的にも重要な場所に行くことができたので去年と違ってまた楽しむことができた。そして土木の合宿としては特に諫早湾干拓事業のように予習して、現地の人の話を聞いて実物を見るということが合宿ならではの有意義な経験となったと思う。


N 藤原麻希子(M2)
 長崎は父親の出身地であるため、幼いころから何度も訪れていますがはじめてこの地の希少性に気付かされました。宗教弾圧を受けながら、鎖国の時代も海外との交易で栄え
幕末から日本の近代化への足がかりとなった街雨、山が多いための水害、火山活動による災害に悩まされてきた街、原爆を落とされた街
こんなにも特徴のある場所は他にないのではないかと思います。マイナスなキーワードの多い街だけれど、私の祖母も宿泊先の宿で話したおばあちゃんも強くて明るくて元気な女性でした。
忘れてはいけない史実を心に留め、それ乗り越えてきた魂を感じるためにも必ずふたたび長崎を訪れたいと思っています。

そして、諫早湾の公共事業に関しては予習と諫早市の方から伺ったお話を通して、表に出るメディアの情報からは見えない側面もあることを知りました。
さまざまな立場の方がそれぞれの憤りを感じながら50年間闘い続けている背景を知らずに、大きな水門を見ただけでは本当の影響力は分かりません。
土木の仕事は規模が大きいと同時に、それがもたらす結果も広くて深く、失敗することは許されないと改めて感じました。

私は来年から民間のエンジニアリング会社の一員になります。一会社員が事業の進め方をコントロールすることは困難だけれど、
事業の意義を理解し、犠牲になる方の存在や気持ちを推し量ることはできると思います。新たに作り上げる構造物によって必ず人々に恩恵を返せるような、
意味がある仕事をしたいと心から思いました。

O 赤間遼太(B4)
 2012年8月29日〜31日の2泊3日の行程で行われた夏合宿で特に印象に残っている感想を簡潔に述べる。
 1日目、諫早湾埋め立て地を訪れた。市役所の方の説明を聞き、思うことが3つあった。1つめは、事前の予習と実態が大きく異なっていたことである。物事には必ず複数の側面があり、それに応対する人々の立場によってとらえ方は大きく異なるのは当然であるが、メディアに踊らされることなく、一度中立の立場にたって物事を考えることがいかに難しく、重要であるか実感した。
2つめは、その対立の構造に対する土木技術者のあり方である。諫早湾埋め立て計画の事例を学び、計画を推進する市職員にせよ、環境アセスメントを行う専門家にせよ、それぞれの成果によって後の将来に大きな影響を及ぼすということを実感した。そのため、土木技術者は技術者倫理に基づいて、しっかりと中立な立場で仕事をしないと、だれも得をしない、ただそこで生活する市民を苦しめるだけの悲惨な結末をもたらすことになるということを肝に銘じておきたいと思う。
3つめは、この構造が私が研究している鞆の浦の埋め立て架橋計画に似ているということである。第三者の正しい理解と、そこで生じているギャップをうまく埋める術が求められていると再認識した。

 次に、雲仙普賢岳を訪れた。私は防災について研究しているが、火山噴火は自然災害の中でも圧倒的に被害が大きいと感じた。また、2日目には、長崎原爆に関する資料館を訪れた。衝撃的な映像や話を見聞きし、原爆の恐ろしさ、悲惨さを身に染みて実感した。現代の原発の問題について思うことも多々あったが、火山噴火の被害や原爆被害を受けても見事に復興して見せた雲仙周辺の市街地と長崎市市街地、2つの『復興』の例が昨年起きた東日本大震災にも大きな勇気を与えるに違いない。私自身も復興に寄与できる活動ができればと思った。

 最後に、今回長崎に行かなかったら、一生行くことがなかったかもしれない。逆に、今回長崎に行ったことで、さらなる興味がわき、またぜひ行きたいと思った。よって総括すると、今回の夏合宿は非常にいい経験になったといえる。多大な苦労と引き換えに、この素晴らしい夏合宿を計画、実行してくれた幹事の方々に感謝したいと思う。
P 鈴木洋美(M2)
 学生最後の夏合宿が終わりました。三回目の合宿であったし,昨年夏合宿幹事を行ったこともあり,夏合宿の位置づけや臨むモチベージョンはこれまでの夏合宿より高かった気がします。
私が何よりも心に残ったのは諫早湾干拓事業の見学でした。事前予習をし,この事業のこと分かったつもりでいましたが,実際は行かないと分からないことだらけでした。もちろん今回ご説明いただいた池さんは諫早市役所の方で,その視点からだけの意見でしたが,少なくともテレビや新聞の情報よりもはるかに現実味があり,はるかに悲惨な現状にいるのだと痛感しました。当時は良かれと思って行ってきた事業も,時代と共に要求される事項も変化し,何十年後かには誰かが得するとほかの誰かが損をする悪者事業になっている。Win-Winの関係を築く大変さというものもこの事業から学びました。こんなにも介入した公共事業は初めてで,これまではニュースで取り上げられていても自分には関係ないと思っていたし,知る必要もないとさえ思っていましたが,将来,土木技術者となる者として今回のように公共事業が問題視されていることにひとつひとつ首を突っ込まなければいけないと思いました。
 また,今回は天候に恵まれず軍艦島上陸の話がなくなりそうでしたが,出水さんのサポートのおかげで上陸は出来なかったものの周遊することができ,大変嬉しかったです。さらに今回は例年と違って留学生が多く参加してくれました。普段研究室でももちろん話しますが,いつもと違って遠出したこともあって,留学生の方たちもいつもよりフレンドリーに接してくれてとても楽しそうにしているのが印象的でした。今回のみならず,留学生の参加が恒例になればいいなと思いました。
 3回の夏合宿を通して,普段では見ることのできない貴重な体験をたくさんすることができました。主体的に学ぶ姿勢だったり,現場を知る重要性だったり,多くのことを学べた夏合宿でした。最後に,突然の予定変更にも臨機応変に対応してくれた幹事の二人,諫早湾干拓事業のご説明をして頂いた池さん,無理をしてまで軍艦島の手配をして頂いた出水さん,そしてこのような機会を作っていただいた先生方,小松さんには深く感謝しています。ありがとうございました。

Q 倉田峻平(M2)
 長崎への夏合宿では、土木に関わる者として考えさせられること以外にも、多方面に感慨深い経験ができたと考えている。

 土木を学ぶ者としては、諫早湾の干拓事業に関して大変興味を持った。1つの公共事業がもたらす良い部分と悪い部分、そしてそれらに関わる人々の間で渦巻く感情を全て考慮して最善策を講じることが非常に難しいことだと思った。
 合宿前にDVDを見て思ったことについてM2の何人かで議論をしていたが、池さんの話を現地で聞いてからもう一度話し合うと内容がだいぶ違った。DVDの中の話と、池さんの話では私達に伝わってくることが全然違ったからだ。何が本当に正しい情報なのかも、分からない。様々な事情から情報が捻じ曲がっている、もしくは誤った認識がされている気がした。国や地方公共団体の立場でもなく、当事者でもない人が、それぞれの立場の人々の話を聴くことが重要だと思った。それは研究者でもよいし、マスコミの人でも構わないと思う。色々な人から話を聞いた人々が集まり、議論することがこの事業の問題をよりよい形で解決する道なのかと考えた。
 今後直接この公共事業がもたらした問題に関わることはないかもしれないが、問題を知ることができたのは大きいと感じている。
 その他に、雲仙の見学では地震地震と地震が多く騒がれる日本において、火山国ということの認識が薄い人間が私を含め多くいると思うので、過去の経験に学び、活かし、今後予想される被害を最小限に抑える努力が土木技術者たち、その他関連する技術者や政治家たちには必要とされると考えた。

 次に、原爆について。広島は訪れたことがあったが、長崎の原爆資料館は初めて訪れた。改めて、原爆の恐ろしさを強く感じた。そして、その背景の部分に思いを馳せた。
 戦争については、細田先生の勉強会で少し話し合ったこと、その他にも考えさせられる場面は多い。私が日頃戦争について考えていることは理想論が多く、具体的な解決策もないため、この感想文には書かない。ただ一つ言えるのは、私は戦争が大嫌いだ。

 最後に、長崎の歴史について。私は坂本竜馬が好きなので、長崎の町を丘の上から眺めるだけでも感慨深く、グラバー園を含めその他のものも見るのが楽しかった。軍艦島に岩崎家、三菱が大きく関わっていることで竜馬とも繋がるし、これまでの歴史的な事の一つ一つが複雑に絡み合って今があるということを、全身で感じていた。これは長崎に限らないと思うが、長崎という土地は特にそれを感じられる面白い土地だと思った。
 こういった歴史絡みのことは、私のように幕末の一部分しか分からない人でも、知っていると知っていないでは感じることが大きく違うと思った。竜馬一人を挙げても、彼についてある程度しっかり学んでいる人とそうでない人で、長崎を観たときの眼の輝きが違った。観光するしないどちらにしろ、世界を大きく動かした人々について、今後もっと学んでいこうと考えることができた。

<謝辞>
 幹事の2人は、最終日まで色々と大変なことがあったと思いますがありがとうございました。コンクリート研に所属するものとして最後の夏合宿でしたが、とても楽しむことができました。お疲れ様です。非常に良い合宿だったと私は考えています。来年はM2として参加することになると思いますが、自分自身の為にも来年の合宿係を要所要所でサポートしてあげてください。最後の合宿を良いものにしてくれて、ありがとう!

R 橋本達朗(M2)
 私にとって学生生活最後の夏季合宿が終わり、横国での学生生活の3/4が終了したかとを意味しており焦りが強くなり始めました。
 長崎は原子爆弾を落とされた県であり資料館では大きな衝撃を受けました。
今回の見学で戦争・原子力兵器の根絶を今迄で一番強く感じ、一人の大人として下の世代、家族を含めて素敵な未来を残したいと強く感じました。
 大学を出て社会人として生きていく上で土木の世界だけではなく、日本を考えながら生きていかなくてはいけないと強く思いました。
 軍艦島は今回の研究室合宿のメインイベントであり、最も楽しみにしていたので最初に中止の連絡が入ったときは本当にショックを受けましたが先生方、合宿係り、出水様のおかげで無事に見学を行うことが出来本当に良かった、今度は是非上陸したいと思います。
 今回の合宿は正直受身な面があったがM1の合宿係りが本当に良く段取りをしてもらい快適に過ごすことができ最高の思い出が作れました「ありがとう」。
 先生方、同期、後輩とすべてに恵まれた私は幸せ者です。

S 鈴木貢太(M2)
 今回は最後の夏合宿ということもあり,貴重な時間となり後期に向けていい思い出ができた。中間審査があったことにより予習は十分行えなかったが,諫早湾の干拓事業や,原爆資料館,雲仙普賢岳など普段では学ぶことのできないものを見て回ることができ土木事業の難しさと土木事業が与える負の一面や,戦争の恐さ,自然の猛威などを体で感じることができた。
 また長崎自体に行くのは初めてで,幕末の日本史にも多少なりとも興味があったので坂本龍馬ゆかりの地なども訪れることができて良かった。今回の目玉企画であった軍艦島に上陸することはかなわなかったものの,外から見るだけでも十分に感動し,また訪れてみたいという長崎市の策略にまんまとハマった気がする。

 合宿の感想とは別に,今回幹事の松田君,錦織君の頑張りがとてもよく伝わってきた。今年は天候や,他大学からの先生方や学生,留学生の参加,またホテルの段取りなど去年とは違った大変さが数多くあり,本当によく頑張っていたと思う。自分が幹事をしていたときも,うまくいかなかったり,激怒したりということは多くあったが,合宿中の飲み会で細田先生に「これだけの集団をまとめるのは非常に大変なこと。でもイベントをまとめる過程で自分が一回り成長できればそれは大きな収穫である」と言って頂き,心がとても軽くなったことを思い出す。実際に合宿直後の就職活動で,これまでの自分を振り返ってみたときに夏合宿は自分が成長できる大きなチャンスだったということを後になって改めて実感した。だから今回の幹事にもそんな体験をしてほしいし,終わってから思い返すと「大変だったけど幹事やってよかった」と思って欲しい。みんな合宿は楽しかったと一様に口をそろえて言うけれど,その裏には幹事の二人がめんどくさい仕事や嫌な仕事を全て引き受けてくれた上に成り立っているのだということを忘れてはいけないし,僕自身も最後の夏合宿として非常に楽しませてもらったので,二人にはとても感謝しなければならない。長々と上から目線で述べてしまったけど,幹事の二人には感謝しているとともに,貢太さんいいこと言うなぁと思いながらこの文章を読むことをかなり期待している。素晴らしい合宿でした。お疲れ様!!!!

(21) Akmal Usman (D3, Pakistan)
 This is my third lab summer trip. Like previous summer trips this trip was also very informative and thought provoking. Trip was well planned and the selection of visiting places was very good.Isahaya Bay reclamation project for utilizing the baron land by converting it to cultivated land inspired me a lot. Also, how by constructing a dike, the rain water was stored and this water was used for the irrigation purposes. Furthermore, network of irrigation channels was a completely new for me. In order to utilizing this land as cultivated land, commitment of the local government was inspiring. The area between the dike and the fields has become a good habitant for the bird and other wild life species. Overall it was an environment friendly project.

Unzen Fugen-dake, was my first experience to visit an area effected by volcanic eruption. The extent of possible damage was realized by visiting the disaster affected areas and also visiting the museum was very informative. The story of whole calamity was very well told by a visual stage play and simulation.
The visit of the Nagasaki atomic bomb museum was heart touching and informative. The destruction caused by atomic attack was massive as was observed through the pictures and other facts displayed in the museum. One can only realize the loss of precious human lives and large scale damage of infrastructure. As a Pakistani being a citizen of atomic power country, I am now strongly condemn the use of such a mass destructive weapon. Furthermore, I support the noble movement to destroy all the atomic weapons in the whole world.

A part of Japanese political history was very well known through the visit of Glover Garden on Minami-Yamate hill. The environmental beauty and the building architecture was very impressive. The whole Nagasaki seen from the Glover garden was giving a very pleasant view and Glover Garden it self was really a garden in a garden. The living style of the ancient foreigners during the period of Edo era was realized by visiting the Dejima Island in Nagasaki.

The visiting of old stone arch bridges and turtle shells fine art shop was very fascinating. It was my first experience to see the objects and jewelry made by such a precious material.
On the last day visiting the Hashima Island was very interesting and enjoyable. It was observed that how the buildings are being effecting due to corrosion caused by sewer marine environment. During the voyage to the Island, a glance of big ship building factories and astonishing bridges was very fascinating.
During this trip accommodation was so good and comfortable. I enjoyed the typical Japanese food of Nagasaki region.

The trip management and coordination among the lab members was very good. It was due to the kind guidance by the teachers, this trip was unforgettable, mind refreshing and very enjoyable for me. At the end I am very thankful to my respected teachers and organizing committee offering such a wonderful summer trip.