インドネシア「バンダアチェ」津波被害調査写真集

2005年2月11日
成田空港 →
Changi空港(Singapore)
Changi空港(Singapore) →
Jakarta/Soekarno Hatta国際空港(Indonesia)
Jakarta/Soekarno Hatta国際空港内の様子.
空港近くのホテルに宿泊.夕食はホテル内のレストランにて.
2005年2月12日
Jakarta/Soekarno Hatta空港
→(Medan)→Banda Aceh空港

メダン経由でバンダ・アチェに向かう.写真はジャカルタ空港での様子.この日は雨でした.
Banda Aceh上空.
沿岸域一帯被災している様子が確認できた.
Banda Aceh上空.
Banda Aceh空港に到着.
空港は海岸から離れていることから津波による被害はない.ヘリコプターや軍の飛行機が駐機していた.
コンサルタントタント会社(Konsultan Tehinik Pembangunan)内にて昼食.
昼食のカレー.
昼食後,今回の調査についてミーティングを行った.
Zouhrawaty先生の家.家の前には泥が15cm程度堆積していた.
家の壁には津波の痕跡が残っていた.
本棚の様子.下段は完全に泥水に浸かっていた.
海岸部に向かって移動.
海岸に近づくにつれて被災が激しくなっていった.
この辺りはBanda Aceh中心部から運ばれた瓦礫の捨て場となっていた.
海岸部に到着.(Siyah Kuala遺跡の近く)
見渡す限り建物はみられない.手前に見えるのは家の基礎部.
前出の木の根元部分.大きく侵食されていた.
正面に見えるのがSiyah Kuala 遺跡.
遺跡の上からの様子.
遺跡手前まで波が来ているが,津波前の汀線は20〜30m沖にあったとのことです.
Banda Aceh東部にある放水路(右)の土手より海岸へ向かう.
放水路に架かる人道橋.津波により柱を残して崩壊していた.
沖に停泊している船に戻るスペイン軍.迎えの船を待っていた.
浜崖の様子.
夕焼け.
津波による侵食量を把握する目的で測量を行った.
夕食時の様子.
2005年2月13日
朝食時の様子.
宿泊した宿の様子.きれいに掃除されていたが,部屋の内部には津波の痕跡線が残っていた.
部屋の様子.
部屋にあるトイレと水桶(風呂用).
Banda Aceh市内であっても海岸線より遠い地区では被害はほとんど見られない.ただし,いくつか地震による倒壊が見られた.
モスク.津波および地震による被害は見られなかった.
Banda Aceh市内から西海岸へ向けて移動.
一面荒野が続く.
仮設の橋を渡り西海岸を南下.
津波により既存の橋は上流側に流されていた.
陸に打ち上げられたタンカーと船.
海岸沿いにあった道路は数mのアスファルトを残し跡形もなく壊されていた.
軍により設置されたゲート.これ以上の南下は許可が得られなかった.
ゲートのやや北側の地点(Lepung)にて測量を開始.
陸側の様子.一面荒地となっていた.
津波が来襲してきたであろう方向を写す.山の下部は津波によって植生が失われ,帯状に地山が見えていた
山の下部の様子.
住民へのインタビュー.彼は津波の来襲時,椰子の木にしがみつき助かったとのことでした.
移動途中に昼食.保存食と水でした.
左側の2つの山の間の植生が失われていることから津波が通過したと判断し,測量に向かった.
測量地点に到着(Rhiting).
始めに最上部にまで登り,下りながら測量を行うこととした.
最上部より海側を望む.こちらはより急な斜面であった.
痕跡により最大津波遡上高さの位置を判定.
津波により折れてしまった木.
海水による潮枯れ.
判定した遡上高さの位置より測量を開始.
斜面を下りながらの測量.
急な斜面であることからレベルの足場を探し,設置することも大変な作業となった.
測量の結果,津波痕跡高48.86m(潮位補正済)を記録した.この高さは地震による津波の明確な記録としては過去最高とのことです.
2005年2月14日
調査メンバー.
宿泊した宿の前にて.
調査メンバーであるMasimin先生(左)とZouhrawaty先生(右).
Siyah Kuala大学にてセミナーを行った.
大学内の様子.
柴山教授の講演.
この後,岡安教授,佐々木助教授,鈴木助手による講演も行われた.テーマは津波であり,1月に行ったスリランカ調査の結果および今回の調査についての発表を行った.
大学内にある水理実験設備の見学.
Zouhrawaty先生の机には柴山教授との写真がありました.
午後,Banda Aceh空港よりMedan,Singaporeを経由しての帰国となった.